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低迷が続く日本の株式市場(2)   横尾宣政

| 未分類 | 2022年1月24日 |

低迷が続く日本の株式市場(2)      横尾宣政

 ここ数十年の日本を支えてきたのは、技術を持つハイテク企業であり、その大半は輸出企業だった。そのハイテク企業に大きなダメージを与えたのは、85年のプラザ合意による「円高・ドル安」だった。すなわち、プラザ合意は日本のハイテク企業叩きが目的だったのだ。

 半導体市場における日米シェアを見ると、75年は米国50%、日本20%で米国が圧倒していたが、86年には逆転していた。工作機械の場合は、圧倒的輸出国だった米国が輸入国になり始めたのが80年代後半であり、その原因となったのは、牧野フライスやファナックを中心とした日本企業である。家電を見てみると、80年後半のTV受像機メーカーはゼニス1社になっている。ハイテクだけでなく、粗鋼生産を見ても81年からは、日本が米国の上を行く状態になっている。 このような状況を打開する方法として考えられたのがプラザ合意である。85年9月22日にニューヨークのプラザホテルで行われたG5蔵相会議でドル安が合意され、1ドル230円だった円相場は一気に円高になり、輸出企業は一変して赤字決算の予想になった。

 私が野村證券事業法人部で担当していた会社は大半が輸出企業だったが、経営者の顔色は瞬間に変わった。当時、決済通貨が円建ての企業はほとんどなく、大半がドル建ての輸出になっていたので、230円が100円になると円での実入りは5分の2近くになってしまう。だからといって、即価格を2.5倍にすることは出来ないし、既に売っているものについては変更のしようがない。それに、価格を上げれば、米国企業に顧客を奪われてしまう(これが米国の目的だった)。

 日本の輸出企業が「倒産」を口に出し始め、誰もが絶望的になった時、野村證券が「円高・原油安・金利安」の3つのメリットをテーマにした「トリプル・メリット相場」のシナリオを打ち出した。石油危機のときの石油株相場のように、その時の話題に合わせた一過性のシナリオだったが、意気消沈とした株式市場を活気づけるには効果的だった。今考えてみると「トリプル・メリット相場」は、本格的なシナリオを出す前の露払いだったのだろう。

 そして次にやってきたのが「ウォーター・フロント相場」であり、このシナリオが円高で苦しんでいた輸出企業を救う画期的な相場になった。

 たまたま野村證券の株式部員が都庁の資料の中に「ウォーター・フロント」という言葉を見つけ、それをもとに考え出したシナリオである。勿論、当時そのような構想は全くなかった。米国のTOBを見ると、一番頭が良い連中は、誰も気が付いていない価値を見つけた企業や、誰にも発想できない利用価値を見出した企業を買収して大きな利益を生んでいた。「この会社にこんな価値があったのか」「この会社をこのように利用できるのか」と皆が知る頃には買収を終わっていたのである。

 「ウォーター・フロント相場」は、まさに優れたTOBの発想から生まれたと言っても良いのではないか。当時のアナリストが誰も興味を示さなかった、石川島播磨重工業(IHI)等の造船株や、新日鉄、日本鋼管(NKK)を中心とした鉄鋼株に焦点を当てたのである。これらの企業の本業ではなく、京湾岸に広大な土地を持っているという点に絞っての発想である。

 更に1社だけでなく他の会社も含めた巨大なプロジェクトとして打ち出すことで、新しい価値を創造するシナリオを構築したのである。もう一点、このシナリオで重要だったのは「本業で儲かっていない会社で、湾岸に大きな土地を持っている会社」ということだった。すなわち「湾岸の工場が儲かっていないから、他に収益が上がる活用方法があれば乗ってくるだろう。収益性の高い工場であれば可能性はない」ということである。都内に大きな土地を持っていても業績が良ければ対象外という、成長神話とかけ離れた発想だった。

 このような架空の開発プロジェクトを打ち出して株式市場を立て直そうとするのは、一見無責任なその日暮らしの証券会社でなければできないことだった。このシナリオが素晴らしいのは、既に高い価格が付いている東京中心に土地を持っている会社を対象外にしたことである。このような会社を地価に合わせて買っても単なる「鞘取り」にすぎず、新しい価値を生み出す訳ではない。それこそ一過性の相場で終ってしまう。

 しかし、ウォーター・フロント相場は、価値の低かった湾岸地域に着目し、そこが開発されたら大変な価値になると打ち出した。そして、実際に開発が始まり、その動きは現在に至るまで続いている。驚くべき先見性というよりも、驚くべき発想力と言うべきだろう。このシナリオの中には、大深度工法による地下鉄の開発も入っていが、88年6月8日に開通した「有楽町線 新富町~新木場」もその一環だったと思うのは飛躍しすぎだろうか。

 株式部が考えた「ウォーター・フロント相場」は、単に湾岸開発を引き起こしただけではなかった。湾岸相場は勢いを増し、最終的には日本の株式市場を押し上げていった。その結果、日立、東芝、三菱電機、NEC、富士通、沖、シャープ、松下を初めとして、各ハイテク企業の株価も上昇した。

 各証券会社は一斉にワラント債発行を勧誘し、上場会社は一斉にエクイティ・ファイナンスに踏み切った。「株式相場の強さ・為替相場・金利安」のお陰でマイナス・コストのワラント債が発行でき、発行企業は大量の「ただ金」を手に入れることができた。当然、ハイテク企業各社も大型ファイナンスを繰り返し、その資金をR&Dや設備投資に使った。その結果、日米の半導体業界は一気に活気付き、世界シェアの大半を手に入れることになった。88年には、1メガDRAMの世界シェアは、東芝(30%)、日立(20%)、三菱電機(18%)、日本電気(15%)の4社で83%に達し、90年は、4メガDRAMの世界シェアは、日立(37%)、東芝(30%)、日本電気(16%)、三菱電機(10%)の4社で93%に達した。

 日本のハイテク産業が最も輝いた時代は、急激な円高でハイテク産業が追い詰められた時期だった。

横尾宣政