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横尾宣政が初めて語る、本当のオリンパス事件  【3】

| 個別企業編 | オリンパス | 2022年1月07日 |

横尾宣政が初めて語る、本当のオリンパス事件

【3】 第一次証券不祥事の影響(91年6月)

 ブラックマンデーで大きな損失を被ったのはオリンパスだけでなかった。ブラックマンデーの1日で500億円の損失を抱えた昭和シェル石油も12月の決算までに損失を何とかしなければならない状態だったが、2カ月で500億円ものリカバリーが望める訳がなかった。

 昭和シェル石油の担当ではなかったが、事業法人部担当の鈴木正志専務から相談され、昭和シェル石油の窮状対策を請け負うことになった。勿論、野村證券では損失補填は禁じられていたし、時価と乖離した価格での売買も禁じられていたので、他証券のような決算対策を行うことも出来なかった。そこで、東京市場とロンドン市場で購入可能なワラント150銘柄を買い込み、東京(昭和シェル石油)、香港(大和銀行香港)・ロンドン(大和銀行ロンドン)・オランダ(NYKアムステルダム)・ニューヨーク(三井物産)・東京(昭和シェル石油)の間で何回も売買を繰り返しながら価格を上昇させ、昭和シェル石油に500億円の利益を発生させる方法を考えた(ワラントの価格操縦は規制されていなかった)。これらは全て時価での正規売買で、正規手数料30億円も野村證券に入った。

 ところが、短期間で昭和シェル石油に500億円の利益が発生したことに目を付けた東京国税局(東京国税局調査第一部特別調査官室鈴木一友特別調査官)は私にヒアリングを行い「我々は2年以上調査を行い、香港、ロンドン、ニューヨークへの出張も度々行った。その結果、野村證券が補填を行っていないことや、全ての売買に不正がないことが分かった。金融のノーベル賞と言える素晴らしいスキームだ。しかし、大変な時間と費用を使ってしまったのも事実であり、野村證券には、最低でも200億円を支払って貰うつもりだ」と迫ってきた。鈴木特別調査官は「田淵義久社長とは親しいらしいが、直接彼のところに行って200億円の承諾を貰ってこい。払わないというのであれば、マスコミを使ってでも必ず取ってやる」と脅しをかけてきた。だが、野村證券の役員は、そんな脅しに屈するわけがない。

 結局、国税局は「野村證券、昭和シェル石油に500億円の損失補填」という出鱈目な情報を全国紙2紙に分割して流し、同時に他証券の補填情報(これは事実)も流した。国税局は、税金欲しさに、無理やり昭和シェル石油への補塡行為(税務上の寄付行為)を捏造し、野村證券から多額の税金を搾取した。

 91年6月に証券会社による損失補塡が大々的に報道され、補填を行っていた証券会社は大蔵省(現・財務省)から軒並み営業停止処分を受けた(野村證券は補填を行っていなかったが、同様の営業停止処分を受けた)。これが、第一次証券不祥事だが、証券会社以上に保証商いを行っていた信託銀行が営業停止になったかどうかは記憶がない。大蔵省は、各証券会社を営業停止にしただけでなく、第一次証券不祥事に乗じて、損失補塡に対する規制を強化した。補塡した金融機関だけに定められていた罰則を、92年1月1日以降は、補塡を要求した投資家にまで拡大したのである。

 特定金銭信託の解消売りによる大量売却で暴落していた株価は、第一次証券不祥事によってさらに急落し、日経平均は1年間で約半分の水準にまで落ち込んだ。利益保証契約のもとに証券会社(信託銀行)に資金を預けていた上場会社は、突然の規制強化で損失補塡が受けられなくなり、92年3月の決算はパニック状態に陥った。ただし、補填に関する法改正が行われる前に交わした契約は有効であり、92年3月の損失は当然補填されるべきだった筈である。

 大手証券会社と信託銀行が補填しなければならない金額は、この株価急落で天文学的な数字になっており、これをまともに支払ったとしたら、山一證券だけでなく、日興証券や大和証券、それに信託銀行各社は大変なことになっていただろう。この状態を危惧した大蔵省が彼等の救済の為に行った判断である。その結果、オリンパスを含めた多くの上場企業が多大な損害を被った。オリンパスとは別に、私が第二事業法人部で担当した日本郵船は千数百億円、日商岩井は数千億円の損失を被っていた(92年3月に、それぞれの財務担当役員から電話が掛かってきて知らされた数字である)。

 補填の代名詞であった山一證券は、その数年前から保証を約束していた顧客の損失を簿外で引き取っており、そのうちの一部を別の顧客の口座に移す作業を行っていたが、オリンパスは損失を預かってくれる有り難い顧客だった筈である。恐らく、92年3月の450億円の損失の中には、山一證券が引き取っていた別の顧客の損失が入っていた筈であるが、山田秀雄氏はその事実に気が付いていなかったのだろう。元本と利回りを保証されていた顧客は、売買に興味がなく、売買の内容を把握していなかったからである。

 再度申し上げておくと、当初、補填の禁止は金融機関を管轄する大蔵省が証券会社や信託銀行に対して定めたもので、通産省管轄の上場会社が認識していた訳ではない。証券会社や信託銀行側から勧められ、契約書に基づく保証取引を信じて資金を預けた投資家に問題があったとは思えない。投資家にまで拡大した補填の規制強化が間違いだとは言えないが、規制のない中で交わした保証契約まで反故にするのは、社会常識や経済原則を逸脱した不合理な行為だったと言える。

 当然、保証契約に則って補填されるべきであり、契約通り補填を行わせた結果、補填した証券会社(信託銀行)に罰を与えるのが正しい方法だった筈である。私も、第二事業法人部時代に徳山曹達の役員から契約書を見せられて、保証付きの運用を迫られたことがあった。元本と7%利回りを保証した書面に、信託銀行の取締役が署名・捺印したものである。これほど確実な契約を交わして預けた資金は、上場会社にとって利回り保証の投資信託のようなものであり、まさか損失を引き受けさせられるとは思っていなかった筈である。銀行株などの含み益を多く抱えた会社は、含み益を吐き出して損失を解消することができたが、そうでない会社は外資系証券の決算対策商品を使って決算を凌ぐしかなかった。この時に大蔵省は、補填以外にも幾つかの規制(適合性の原則や確認書の受け入れ)を定め、証券会社に反省を求めたが、その為に証券会社の営業力は急速に低下してしまった。

 戦後、日本の株式市場が大きく上昇した原因の一つには、何と言っても証券会社の強烈な営業力があった。しかし、第一次証券不祥事で定められた様々な規制によって証券会社は手足をもぎ取られ、30年以上、株式市場は新値を付けられない状態になってしまった。

横尾宣政

 
横尾宣政の経歴
1954年(昭和29年)兵庫県姫路市出身。78年京都大学経済学部卒業後、野村證券に入社。金沢支店、東京第二事業法人部、野村企業情報、ワッサースタイン・ぺレラ社(米国)、浜松支店、営業業務部、高崎支店、新宿野村ビル支店に勤務。98年5月に野村證券を退社して、グローバル・カンパニーを設立。2012年2月16日に金融商品取引法違反で逮捕、同年3月7日に詐欺罪で再逮捕、2013年6月11日に組織犯罪処罰法違反で再々逮捕。966日間の勾留後、保釈。最高裁での2年3ヶ月の審議後、有罪が確定。2019年8月16日に収監される。2020年11月19日に仮釈放。