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横尾宣政が初めて語る、本当のオリンパス事件 【2】

| 個別企業編 | オリンパス | 2022年1月05日 |

横尾宣政が初めて語る、本当のオリンパス事件

【2】 ブラックマンデー(87年10月)

 オリンパスがいつから資産運用を行っていたのかは分からないが、私が野村證券第二事業法人部で担当した86年より以前から始めていたことは確かだ。

 オリンパスを担当して2、3ヵ月経った1987年の春、資金運用責任者の山田秀雄氏(元副社長、当時は経理部資金グループ課長)が野村證券本社を訪ねてきて「円高で利益が出なくなり困っているので、100億円の運用資金で6億円の利益を上げてほしい。下山敏郎社長からの依頼だ」という突拍子もない話を切り出した。70~80%の世界シェアを誇る医療用内視鏡(ファイバースコープ)が収益の大半になっていたオリンパスは、極端な輸出依存体質になっており、プラザ合意(85年9月)による急激な円高は、オリンパスを厳しい経営環境に追い込んでいたのだ。

 事業法人部担当の鈴木政志専務と相談した私は、保証(元本・利益)をしないという条件で100億円の運用依頼を承諾した。首尾よく1週間で6億円の利益を上げられたので106億円をオリンパスに返却したが、数日後、再び尋ねてきた山田氏は驚愕の事実を伝えてきた。「あなたの前任者の時代、野村證券で債券運用をやって100億円の損失を作ってしまった。野村は時価と乖離した売買を禁止しているので決算対策ができない。だから、含み損を抱えた債券を国際証券(野村證券の系列会社)に移管して決算対策を行った。そのことは前任者から聞いていると思うが、その損失を株で取り返してほしい」すぐに前任者に確認してみたが、残念ながら事実だった。この件が、何故、引継ぎ事項の中に入っていなかったのか疑問である。

 国債等の上場債は、当時から時価会計(時価評価)になっており、オリンパスが抱える100億円の評価損は損失計上しなければならなかったのである。そこで、簿価会計(簿価評価)が許されていた非上場債に入れ替えたいたのである。その為には損失が出ないように国債を売却しなければならないが、通常の売買では100億円の実現損(売却損)が発生してしまう。そこで、時価と乖離した売買を許していた国際証券(野村証券の系列会社)に国債を移管し(国債の券面を、野村證券の金庫から国際証券の金庫に移し替えるだけだから損失はでない)、簿価評価(評価損が出ても簿価のままで評価し、損失計上する必要がない)が認められていた私募債(非上場債)に入れ替えたのである。

 仮に500億円で購入した国債が400億円に値下がりしていたら、国際証券に簿価の500億円で買い取ってもらい、代わりに時価より100億円高く私募債(非上場債)を購入するのである。そうすることで、国債が抱えていた100億円の評価損を、私募債の評価損にすり替えることができる。このような売買を「ドレッシング」と呼んでいたが、野村證券は時価と乖離した売買を禁止していた為、ドレッシングを行うことはできなかった。そのためオリンパスは、含み損を抱えた国債を国際証券に移管してドレッシングを行ったのである。

 山田氏から100億円の損失を告げられたとき、当然、事業法人部の鈴木政志専務に相談した。その結果、「保証をしない」「最善を尽くす」という条件で損失回復を計ることに決まった。

 株価の先行きが不透明だったので、めいっぱいの金額で短期勝負に出たが、80億円を取り戻したところで、不運にも87年10月19日(米国時間)のブラックマンデーに遭遇してしまった。ニューヨーク株式市場は前日比508ドル安(下落率21・6%)の大暴落、これを受けた翌20日の東京市場も、日経平均が3836円48銭安(下落率14・9%)と、史上最大の値下がりを記録した。取引が成立したのは鉄鋼株の数銘柄だけで、それ以外はすべてストップ安売り気配のままで終わり、出来高も最低水準となった。この日一日で、オリンパスの損失額は約300億円に達した。

夕方にオリンパスを訪問した私は経理部長の岸本正壽氏(元社長、当時は経理担当取締役)と話し合い、新たに100億円を用意してもらって、ロンドン市場のワラントを買い集めることになった(実際に購入できたのは50億円)。ワラントの価格が理論価格を大きく下回り、数日前の300~400億円分を、わずか50億円で購入できる状態になっていたからだ。

 オリンパスは、その後2週間かけて日本鋼管(現・JFEスチール)を、一株254~270円で3000万株買い集め、さらに新日鉄(現・新日鐵住金)や川崎製鉄(現・JFEスチール)などの鉄鋼株も購入した。それら全てを半年近く持ち続け、NKKの株価が750円になった88年6月、すべての株式とワラントを売却。ブラックマンデーの損失と国債の損失の全てを解消した上に100億円の利益を上げることができた。

 私の認識では、野村證券でのオリンパスの運用はこれで終わった筈である。翌月の88年7月、私は第2事業法人部から設立準備中の「野村企業情報(M&A専門会社)」に異動し、さらに90年5月にはニューヨークの「ワッサースタイン&ぺレラ社」に出向した。

横尾宣政

横尾宣政の経歴
1954年(昭和29年)兵庫県姫路市出身。78年京都大学経済学部卒業後、野村證券に入社。金沢支店、東京第二事業法人部、野村企業情報、ワッサースタイン・ぺレラ社(米国)、浜松支店、営業業務部、高崎支店、新宿野村ビル支店に勤務。98年5月に野村證券を退社して、グローバル・カンパニーを設立。
2012年2月16日に金融商品取引法違反で逮捕、同年3月7日に詐欺罪で再逮捕、2013年6月11日に組織犯罪処罰法違反で再々逮捕。
966日間の勾留後、保釈。最高裁での2年3ヶ月の審議後、有罪が確定。2019年8月16日に収監される。2020年11月19日に仮釈放。